私たちはなんとなく、お金はあればあるほど良いと思い、収入を増やしたいと思い、なんとなく「富裕層」に憧れや劣等感をもっている。けれど実際、お金を持て余すというのはどういうことなのだろうか。貧困の現状についてはこれまでもたくさん研究がされてきたが、富裕層については驚くほど少ない。
ロンドンの大型書店で平積みされていて出会ったSerious Money: Walking Plutocratic Londonは、その空白地帯を埋めようと打って出たCaroline Knowles教授の著作である。
世界の超富裕層が集まるロンドンには、金融や不動産で一代で財を成した人、その子ども、貴族の末裔など、地区ごとに異なるタイプのお金持ちがいる。彼女は現地で当事者やその下で働く人たちにインタビューを行い、その実態を描き出していく。徒歩でまわることで、そこで活動する人々の生活感(あるいはその欠如)を感じ取る。ロンドンの全く新しい姿が見えてくる。
富裕層の孤独と、不自由。お金がありすぎることによる特権意識と保身の意識が人間性と創造力を蝕む様子を彼女は観察する。
そして、女性の地位がこの世界ではウーマンリブ以前の時代に逆行したようだと彼女は言う。そもそも世界の高額所得者の約90%は男性というデータがあり、そうした男性と結婚した女性は、夫の収入があまりにも大きいために、たとえすでにキャリアを築いていたとしても、仕事を続ける合理性がなくなってしまう。家庭では、家と財産の管理から子どもの教育まで、取り仕切らなければならないことが山ほどあり、「家庭内CEO役」にフルタイムで従事する女性が多いと著者は指摘する。もちろん、結婚前には、女性をトロフィーとして扱い、若さと容姿で判断する風潮がかなり根強いようだ。
富裕層はまた、大量の「待つ人」を発生させる。執事や運転手に始まり、料理人、メイド、パーソナルアシスタント、ホテルのスタッフ、ペットの世話係、インテリアデザイナー。年に数回使うかどうかというヨットのそばに待機して、常にピカピカに磨き上げておくスタッフがいる。
それは本当に憧れるような生き方なのだろうか。本当に肯定されるべき地平なのだろうか。
富裕層が変える街
少数に集中したお金は、そこで完結せず、社会全体に影響があることも、Knowles氏は街を歩きながら確認する。いわゆるジェントリフィケーション問題で、投資目的など、そこに住む予定がない人による再開発で家賃が上がったり立ち退きを求められたりして、元の住人が去り、画一的な街になっていく。寄付という形で富を社会に還元しようとする人物も本には登場するが、注意深く寄付先を選ぶその姿を著者は見逃さない。そんな状況に対して、本では規制の強化と、価値観の変容を呼びかけている。
読者も無罪ではない
この本を読むと、富裕層向けビジネスに活路を見出すことの危うさを考えずにはいられない。地に足のついた、自分で生活を作り出す喜びがある暮らしこそを肯定したい、と改めて思った。
と同時に、自分たちもすでにその世界に片足を突っ込んでいることに気付いてしまう。「より便利に&より安く」を追求し、お金の有無で無意識に人を比較してしまう。そんな価値観の延長線上、その究極のところに、今の富裕層たちの姿がある。
それでも、人口では大多数を占める私たちがその姿を知ることで、何かが変わるのかもしれない。「権力は下から来る」というミシェル・フーコーの言葉を思い出す。